菊池道人

どちらか一方だけが正しいというような場合は、余り多くはない。大抵はどちらの言い分にもそれなりの理があるものだ。例えば、周郎が申したように、張角の説く教えに縋りつく者たちは、飢えや病に苦しんでいる、それを考えねばということは正しい。また、孫堅殿が国家の安寧のために不逞の輩を成敗するということも、理があり、まして、それを侮辱されたのは、子として許しがたいというのも、もっともな心情じゃ。しかし、そのもっともな理や情がぶつかると、無益な争いとなり、どちらの言い分も死んでしまうものだ。 正しい事を言うと、とかく、人を傷つけてしまうものだよ。わしも若い頃は官吏の端くれであったが、余りに歯に衣を着せずに物を申すものだから、本来ならば味方になってくれそうな人々まで敵に回してしまった。かと言って、何も言わずにいればよいというものではない。先ずは、相手が如何なる立場の者であるのかを考えねばならぬ。